
文楽の保存と継承
大井文楽へようこそ!
(1)由緒・系譜
昭和25年(1950)、大井町の義太夫仲間が、名古屋市大曽根の近松座から、人形を譲り受け大井文楽同好会を発足させ、人形浄瑠璃を稽古・上演したのがはじまりである。
人形の首は21個で、阿波の人形細工師で名人と言われた初代天狗屋久吉の明治20年代の作品である。 昭和34年に岐阜県重要有形民俗文化財の指定を受けた。
中山道の宿場町だった大井は、江戸中期から周辺の郷村とともに操や歌舞伎の盛んなところであったこともあり近代になって義太夫の語り手も歌舞伎の振付師も住んでいた。
昭和26年、町の歌舞伎の振付師に人形の振付を頼み 大栄座で旗揚げ公演を行った。
以後、昭和54年大宮市西武デパート、同62年明治村呉服座など市外でも公演。
平成元年、人形を恵那市に寄付したのを契機に、大井文楽保存会を結成し、その年世界デザイン博と第1回中部文楽サミット(真正町)に出演、翌2年近畿東海北陸ブロック民俗芸能大会(滋賀県)
同12年アメリカマイアミ市で開催のジャパンウイークなどに出演。
(2)芸風
当初、地元の歌舞伎振付師の振付で始めたが、近年は、大阪文楽協会から師匠を招き(年2回程度)
人形の基本所作を学ぶとともに、義太夫・三味線も指 導を受けており、大阪の文楽(国立文楽劇場)の芸風下にある。
(3)稽古場・人形・衣裳等道具保管庫・上演場
平成元年、寄付を受けた恵那市が中央図書館内に人形等の保管庫(スペース)を設置したので稽古は同所で行っている。
上演の機会は、例年、4月の恵那市飯地町太田神社例祭(飯地五毛座歌舞伎と共に)
2月の市伝統芸能大会(恵那市文化センター)などである。
(4)伝承教室の開催など
平成6年から次世代への文楽継承を意図し「伝承教室」を開催し、人形操りと共に、笛や鳴物
三味線・義太夫の育成に努めている。
同12年からは、小学生 「体験交流会」を開始した。
こうした活動に対し、平成12年に「2000年岐阜県知事表彰」
同17年に国際博覧会協会長から感謝状を受けるなどしている。
三番叟